白ねぎ
白ネギの由来
日本で栽培されているねぎの原産は、いろいろな説がありますが、中国の西部という説が有力です。日本へ伝わってきたのは、かなり古く、すでに日本書記には「秋葱」という文字で残っています。
ねぎは大きく分けて「葉ねぎ」と「白ねぎ」に分けられます。
主に関西で広く栽培されていた「九条ねぎ」のなかまは、分けつした青い葉っぱの部分を食べることから「葉ねぎ」または「青ねぎ」とよばれています。
一方、関東では、冬の寒さと乾燥から守るため、茎の部分に土寄せして、白くなった茎(葉梢)を食べる「千住ねぎ」のなかまが広く栽培されました。これが「白ねぎ」とよばれています。
鳥取県の白ねぎ
鳥取県のねぎ栽培は、もともと「地ねぎ」という「青ねぎ」でした。明治の中ごろから、全国的に品種の交流がはじまり、昭和6年、山口県王喜村から導入した品種に、改良に改良をかさねてできあがったのが「伯州一本太葱」です。これが鳥取県を西日本一の産地にまでした「鳥取白ねぎ」の元になった品種です。
昭和のはじめ頃には、境港から、なんと、朝鮮や満州まで白ねぎを輸出していたのです。(輸出は昭和18年ごろまで続いたそうです。)そのため、米子市を中心とした弓ヶ浜半島の砂地での白ねぎ栽培が急速に増えてきました。
昭和40年代後半からは、従来の砂地だけでなく、県西部の「大山山麓」のふもと一帯に、次々と広がってきました。現在では県中部や東部にも広がり、県下全域で栽培されるようになって、白ねぎの一大産地になりました。
その間、品種改良や栽培技術がすすみ、従来は秋から冬にかけてしか出荷されなかった白ねぎも、今では一年中出荷することができるようになりました。
鳥取県の白ねぎの特徴は、なんといってもその柔らかさと、とろけるような甘味です。特にお肉との相性は抜群で、すき焼き、鍋物、焼き鳥など、最高の味をひきだしてくれます。
白ねぎ栽培の行程
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1.「苗床」
白ねぎの苗づくりは、種が細かい、期間が長い、防風・防寒、草取りなど野菜の中でも難しい方です。
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2.「植付け前」
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3.「植付け作業」
昔は一本ずつ手植えでしたが、育苗方法の開発により省力化が進むようになりました。
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4.「植付け後」
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5.「排水用溝切り」
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6.「土寄せ」
管理機の普及は、白ねぎ栽培で最もつらいとされていた土寄せ作業の重労働から農家を解放し、栽培面積が拡大する大きな原動力になりました。
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7.「最終土寄せ」
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8.「収穫後の皮はぎ作業」
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9.「皮はぎ後」
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10.「箱詰め作業」
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11.「製品」
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12.「市場出荷」
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